何か一つでもいいのです
それさえあれば、生き延びられるのです。
仕事をした。
マフィオーソの仕事だった。
内容は、ある機密文書の処分と、それを知った関係者の始末。
そう難しい仕事ではなかった。
ただ、唯一の誤算は、関係者の中に、小さな子供がいたこと。
黒いぬれたような瞳にみつめられ、それがゆっくりと焦点を失い、紅に染まっていく瞬間、
ランボは自分を打ち抜きたくなった。
仕事が終わって、外に出ると、もう夜明けで。
簡単に血を拭っただけで、
アジトに返って、報告をして、それから自宅に戻ってシャワーを浴びようとぼんやり廊下を歩いていると、急に呼ばれて前を見た。同時に前方ノ窓から差し込む温かい日の光がまぶしくて、気押されるまま目を眇めた。
「どうしたんですか?おなかでもいたいんですか?」
「…ハルさん」
目を眇めて顔をしかめたのを体調不良と勘違いしたのか、柔らかい光をまとって、ハルが優しく覗き込んできた。
「…大丈夫ですよ」
仕事帰りの汚れた身を、こんな優しい人には見せたくなくて、そっと離れる。しかし、ハルはその分だけ距離を縮めててきた。
「…ランボちゃん、どうしたですか?」
「いいえ、なんでもないんです」
人を、小さな子供を殺してきたと悟られたくなくて、目を伏せたまま離れようとすると、今度はハルがすっと距離を縮め、手を伸ばし、ランボの頬に手を添えた。
「っつ・・・!!」
緊張し、こわばるランボの頬をそのまま包みこみ、目の下をなでるように親指を滑らせ、額を合わせてくる。
「…ん~熱はないですね、でもすごいクマです。お仕事大変だったんですね。お疲れ様。ランボちゃんは頑張り屋さんです。」
微笑みもう自分の背を追い抜いた男の頭を抱き寄せてなだめるようになでてくれる。息を詰まらせるランボの呼吸が楽になるようにか、背中をトントンとリズムよく叩いてくれた。
「ランボちゃん、無理しちゃだめですよ」
「…ごめんなさい」
小さな命を奪ってごめんなさい、未来をつぶしてごめんなさい、こんな弱虫でごめんなさい、情けなくってごめんなさい。
生きていて、そして、この人に優しくしてほしいから、愛してほしいから、この先も生き続けたいと願ってしまってごめんなさい。
すべてを包み込んでくれる優しさに、少しの間甘えたくて、ハルの肩に頭をすりよせた。
あの人に優しくしてもれえたから、
あの人に抱きしめてもらえたから、
まだ生きていける。
まだ生きてゆきたいんだ。
「大っ嫌いだ!!」
「ああ、結構だ」
「冷血漢!!」
「格下のくせに」
「いつだって、無視ばっかりで」
「言いたい放題言いやがて」
「こちらの気持ちも考えないで」
「泣きわめくだけ泣きわめいて」
「俺が傷ついたって構わないんだ」
「何も感じないと思っていやがる」
「その非常っプリといったら!」
「その傲慢さといったら」
「「もう2度と顔も見たくない」」
ただ、お互いがまともに意思疎通をしているところを見たことがないというのも全員が認めるところだった。
いつもランボがリボーンを見つけては襲いかかり、それを返り撃ちにされて、泣きべそをかく。リボーンはそんなランボの様子をチラッとみて、後は無視を決め込む。
そんなランボをみた周囲はやれやれとため息をつきつつ、ランボを慰めながらリボーンをたしなめる。
リボーンは一瞥だけ残して無言で背を向ける。
そのあとをランボがまた追いかけていく。
その繰り返しだった。
「待ってよリボーン」
はあ、とため息をついてリボーンは踵を返すとそのまま廊下を歩きだしてしまう。
拒絶するような背中をみたランボは、口を動かし、何かを訴えようと手を伸ばそうとするが結局伸ばされることはなく。「が・ま・ん…」と口の中でつぶやいた。
はあ、リボーンがまたため息をついて今度は立ち止まる。しかし、振り向くことはしない。
遠ざかっていく背中が急に止まったところで、背中にドンと振動が響く。おぼれた人間がやっと見つけた命綱にすがりつくように、必死にすがりついてくる腕と、じんわり染みてくる水分の気配を感じ、またもう一つ、男はため息をついた。
「なんやかんやいって、ランボは必ずリボーンを追いかけるね」
「はは、俺たちがなんやかんやいってランボを慰めてる時の小僧の顔も見ものだしなあ」
周囲を痴話げんかの延長に利用するのはやめてほしいと、うんざりされていることを二人は知らない。
「こちらを見てもくれない」
腕に装着した義手と剣を外すと、とたんに体が薄くすけるような浮遊感にさいなまれる。
「つっ・・・」
スクアーロは喉と体の痛み、そして表現仕様のない離人感にを覚えて目を覚ました。
一瞬自分がどこにいて何をしていたのかわからなくなる。
とっさに身を起こそうと体を動かすと、何者かの腕に邪魔される。
腕の主を確かめて、やっと自分が何をして、どうしてこうなっているのか思い出した。
昨日、仕事を終え、報告した後、ザンザスに無理やりベッドに連れ込まれてやりたい放題された。
スクアーロが仕事で義手を破損したことを嘲笑い、カスだのクズだの一通り罵った後、とたんに不機嫌になり仕置きだと言わんばかりにいつもよりしつこくスクアーロの体を嬲った。
途中まで意識があったが後半は曖昧になっているところをみると途中で意識を失ったらしい。
だが、スクアーロの体に汚れはなく、体の奥にまだ何とも言えない違和感があるものの、ざっと拭われている。
いくら落ちたと言っても、他の人間が近づけば自分が起きないはずがない。それを考えるとどうやらザンザスが後始末をしてくれたらしい。
どんな顔してやってるんだぁ・・・
想像がつかずに顔をしかめる。もしくはいつもの不機嫌そうな顔でやっているのだろうか?そう思うとおかしくなる。
思わずもれた笑いに体を震わせると、とたんに鈍痛が体に響く。
「く・・・」
にやけ顔と苦痛がないまぜになった妙な顔になりながら、体に響かないようにそっと力を抜いた。
とたんに体がベッドにのめりこみ、そのまま起き上がれないのではないかと思う程の重力と、自分自身が塗りつぶされるような夜の闇に覆い隠される。
銀色の目を見開き、とっさに自分をかばうようにいつもは義手と剣をつけている左手を引き寄せた。
しかし、仕事で破損した義手は取り外され、腕は手首から先のない丸いフォルムが頼りなく動くだけだった。
ヒュ・・・
っと息をのみ、とたんに先ほど目を覚ました時と同じような離人感に襲われる。
その、曖昧な感覚に思わず体に力を入れると、鈍痛がまた貫いてくる。
同時にその痛みを与えた男の存在と体温を感じる。
ああ、これは自分の体だ。
いつも抱えている義手と剣、そしてそれにしみ込んだ血の重みの代わりに、スクアーロは自分に与えられた痛みと、その痛みを与え、常に支配してくる男の存在を抱えて、自分の形を理解した。
何もないままでは生きていけない
何も抱えないままではもう形を維持できない。
溶けださないように、飲み込まれないように、
体中に縛り付けるための鎖を
血肉に代わる痛みを
与えてくれる存在を誰よりも欲していた。
言うたびに気管が焼けつくように痛む
―触るなよ!!
つかまれた腕がやけどしたように熱い
―下らねえ。
彼の言葉を否定するたびに、目頭が熱くなる。
―暑苦しいってんだろ?!
抱きしめられるとどうしていいかわからない。
―もう、勘弁してくれ。
とうに思考回路は焼けただれ、もう何も考えられない。
「ごめんな?獄寺、そんなに逃げねえでくんない?」
優しく覗き込むように許しを請う相手に素直になることもできない、
きつい言葉を吐きかけ、優しい腕を拒絶して、面倒くさそうな態度をとる。
「じゃあ、今日は俺帰るな?」
そういうと山本は驚かさないように腕を解き、2歩後退してそのまま背中を向けて夕闇に溶けていく。
こちらを振り返ることもなく。
お願い、帰らないで、傍にいて、優しい言葉をかけて。
素直に言えるはずもなく、かといって立ち去る山本の後ろ姿を直視することもできず、
唇を噛んで下を向く。
不意に制服のポケットに入れた携帯が鳴り響いた。
とっさに出して相手を確認もせずに送られてきたメールを開く。
『獄寺』
メールにはそれだけが書かれていた。
驚いて顔をあげると、
行ってしまったはずの山本が携帯を片手にゆっくりとこちらに近づいてくる。
視界が歪む。
喉にこみ上げてきた何かをこらえていると、
柔らかい体温にそっと包まれる。
「獄寺のこと、すげー好き」
何か言い返そうと思って開いた口からはヒュっという嗚咽を飲み込むようなかすれた音しか出ないで、
何度か口を動かしても、やっぱり言葉は出ないまま、
何も言えないままに、
そっと山本のシャツの裾をつかんだ。
どうかお願い、離さないで、諦めないで、離れていかないで。
自分から追いかける勇気はまだ持てないまま。
祈るような気持ちで指先に力を込めた。
他に見るものもなかったのでなんとなくそのままリモコンをおいた。
―この俳優の名前、なんだって…
黒い髪に黒い瞳のしなやかな体をもった俳優が女優に優しく微笑みかけていた。
―全然違うな…
脳裏によぎる黒い髪と黒い瞳のヒットマンが浮かべる微笑みは、氷の様で、気まぐれに伸ばす手はいつだって同じくらい唐突にこちらを突き放す。
情熱的な音楽の中で、男女がそれぞれの想いを語る。
かわいらしい女優の柔らかそうな肢体を男優がそっと抱きしめる。
ランボは手に持ってきたカプチーノを一口飲み、ゆっくりと瞬きをする。
映画はどんどんストーリーを進めていき、想い合っていたはずの男女がそれぞれすれ違いを始める。
上手く伝わらない想いにお互いが焦れ、時間ばかりが過ぎ、
そして、
とうとう別れの日が来る。
素直に言えなかった言葉、伝わらない想い、心は結局重なり合うことはなく、絡み合ったと思ったものは幻想だった。
『欲しいものを欲しいと泣きじゃくる素直な子供みたいに泣けたらいいのに』
そう言いながら過去になってしまった関係に女優は美しい涙を流していた。
ランボはカプチーノをもう一口飲みたいと思ったが、カップの中はからになっていた。
立ち上がるのもおっくうで、そのままソファにもたれかかる。
映画の内容はいまいちよく覚えていない
「退屈だ…」
昔だったら感動したであろうラブロマンスは古臭さが先に立ち、なんとなく感情移入できないまま、
最近はあまり大きく感情を動かすこともなくなってしまった。
そういえば、昔は泣いてばかりいたな。
いつになったら枯れるのかと思うほどに涙は流れて、
欲しいものはなんでもその場でねだって。思ったこともすぐに伝えて。
わらって、泣いて、怒って…
毎日が忙しかった。
なんとなく、黒いヒットマンに会いたくなって、携帯電話に手を伸ばして止めた。
決定権はあちらにあった。
たとえば、もし明日会って、『お前とはもう二度と寝ない』
そう言われたら、ランボはただ『わかった』とうなづくだろう。
相手の気持ちを考えずに自己主張するほど子供じゃないし、
ましてや、映画の中の男女と違い、付き合っているわけでもない。
ランボはやっぱりもう一杯カプチーノを飲みたいと思った。
それでもソファにもたれた体は動かないままだった。
そっと手を合わせ、宙を見上げたまま目を閉じた口の上にそっとかざし、
そういえば、とふと頭によぎった想いを反芻した。
泣き虫と言われなくなったのはいつからだったろう?
もう、最近では泣き方すら忘れてしまった。